太宰治の『富嶽百景』の書き出しは、以下の通り。
富士の頂角、広重(ひろしげ)の富士は八十五度、文晁(ぶんてう)の富士
も八十四度くらゐ、けれども、陸軍の実測図によつて東西及南北に断面図を作
つてみると、東西縦断は頂角、百二十四度となり、南北は百十七度である。広
重、文晁に限らず、たいていの絵の富士は、鋭角である。いただきが、細く、
高く、華奢(きやしや)である。北斎にいたつては、その頂角、ほとんど三十
度くらゐ、エッフェル鉄塔のやうな富士をさへ描いてゐる。けれども、実際の
富士は、鈍角も鈍角、のろくさと拡がり、東西、百二十四度、南北は百十七
度、決して、秀抜の、すらと高い山ではない。
太宰治『富嶽百景』(1939)、引用は「青空文庫」
http://www.aozora.gr.jp/cards/dazai/htmlfiles/hugaku.htmlより
……ずいぶんとマニアックな内容である(^^;
と思っていたら、ここに書かれた内容は、実は太宰治本人が思いついたことではな
いらしい。これは有名な話のようだが、筑摩書房版太宰治全集の「解題」によれば、
太宰治の義父、石原初太郎による「富士山の自然界」(山梨県、東京至文館、1925)
の記事からの引き写しということらしい。
……それはともかく(^^;
この作品中の富士山は太宰の心象風景の一部ではあるものの、地図上の富士山が、
自分の記憶の中、浮世絵の絵の中の富士山よりも鈍重である、という指摘は間違いで
はないようである(という話をこれからする)。どうして、自分の記憶の中、絵の中
の富士山は、実際よりも高く、華奢になったのだろうか。
冒頭の引用に続いて、太宰治はこういっている。
十国峠から見た富士だけは、高かつた。あれは、よかつた。
太宰治『富嶽百景』、引用は「青空文庫」
http://www.aozora.gr.jp/cards/dazai/htmlfiles/hugaku.htmlより
こうして太宰は富士が見える御坂峠の天下茶屋に宿して、絵画の中のような高い富
士と向き合うわけだが、まぁ、太宰の心象風景は措いておこう。
富士山は、見る場所によって表情が変わるし、印象も違う。あっと驚くほど高く見
える時もあるし、いかにも鈍重に見える場合もある、という点に着目する。
*
たとえば、FYAMAPの常連、
富嶽仙人さんが、見る場所による富士山の姿の違いにつ
いて語っている。引用しておこう。
富士が最も高く聳えて見えるのは、相対する山から望んだ時だろう。眼下に
広がる裾野からみごとにせり上がったその姿は、山麓から見上げるのとはひと
味違う。
『富士山展望百科』(実業之日本社、1998)p.204より
*
地図から描き出した富士山が、記憶や絵画の中の富士山よりも鈍重であるという印
象を持つ人は多いとみえる。たとえば、伊藤幸司さんという方も、各地からの富士山
の眺めを調べて、太宰と同じようなことを述べている。
(つづく)
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